第213回もう1回三国志
もうほんとにすみません。今回も三国志ネタをご紹介します。でも、三国志のこと、色々知っているのもきっと役に立つので(←強引ですかね…笑)、まぁ少しお付き合いください。
で、前回も書きましたが、三国志に関する言い回しは「歇後語(歇后语 xiē hòu yŭ)」というのが非常に多いのですね。今回、おもしろいのを見つけたので、これを以って歇後語の説明としてみます。
张飞妈妈姓吴
zhāng fēi mā mā xìng wú
張飛のお母さんは呉という苗字だ
その心は?
吴氏生飞→无事生非
wú shì shēng fēi
呉という人が飛を生んだ→わざとゴタゴタを引き起こす
お分かりでしょうか。「張飛(张飞 zhāng fēi)」というのは三国志に出てくる英雄の1人で、劉備(刘备 liú bèi)の義弟です。その張飛のお母さんが呉という苗字だというのですね。(中国では夫婦別姓なので、子供と母親の苗字が違うのは極々当たり前のことです)(実際に張飛のお母さんが呉という苗字なのかどうかは、僕は知りません…笑)
つまり「吴氏生飞(呉という人が飛を生んだ)」ということになります。飛というのは、張飛のことを指します。
そしてこの「吴氏生飞」と全く同じ音で「无事生非」という四字成語があるので、それにつなげたわけです。この四字成語は「何も無いところからゴタゴタを引き起こす」というような意味で使われます。
こういう同音異義語を使っている歇後語は、結構楽しいですよね。
それでは、以下、三国志のエピソードを背負っている歇後語を1つ紹介しますね。
草船借箭
căo chuán jiè jiàn
わらの船で矢を借りる
その心は?
满载而归
măn zài ér guī
収穫満載で帰ってくる
有名な赤壁の戦い(映画『レッドクリフ』で描かれていた戦いです)の少し前のこと、呉の国の都督である周瑜(周瑜 zhōu yú)は、劉備軍の軍師である諸葛孔明(诸葛孔明 zhū gě kŏng míng)とともに曹操(曹操 cáo cāo)を打ち破ろうと軍議を重ねていたのですが、周瑜は諸葛孔明のあまりの聡明さに恐れをなし、いずれ呉の国のためにならない人物になることを心配し、孔明を亡き者としようと画策します。
そしてある日、孔明に「今後のいくさに矢はどうしても欠かせないので、是非10日の間に矢を10万本作ってほしい」と無理難題をふっかけます。やりおおせられなかったら、罰として殺してしまおうと考えたのです。
しかし孔明は、これが周瑜の計略であることを知っていながら「わかりました。10日間などと悠長なことは言っていられません。3日で作ってご覧に入れましょう」と自らの首を絞めるようなことを言って約束してしまいます。
さて、孔明は一体どうやってこのピンチを切り抜けたのでしょうか。
孔明は、たくさんの船の船体をわらで覆い、更にわら人形も乗せて、3日後の夜に、長江を挟んだ対岸にいる曹操軍のほうにこぎ寄せていきました。その日は深い霧が立ち込めていました。
曹操軍の砦に近づくと、銅鑼を打ち鳴らしてあたかも夜襲のように見せかけて曹操軍を刺激します。曹操軍は、霧が出ていて同士討ちを起こしやすいと考え、あえて立ち向かわず、多くの矢を射掛けて撃退しようとします。
曹操軍から飛んでくる矢は、孔明が用意した「わらの船」にドンドン突き刺さり、船体が見えないほどになりました。そこで船の向きを変え、船の反対側のわらにも矢がどんどん突き刺さるようにします。
「わらの船」がハリネズミのような状態になったところで、そのまま呉軍のほうに戻りました。そして曹操からプレゼント(?)された10万本以上の矢を周瑜に献上したのです。
ふつうに職人を使って弓矢を作らせても、10日間で10万本はさすがに無理な話です。そこで、曹操軍から弓矢を拝借して、船に満載して帰ってくるなんて、孔明のその神算鬼謀、すごいですね~。
このエピソードは、映画『レッドクリフ』でも出てきましたので、機会がありましたらご覧になってみてください。とても面白く描かれていましたので。
伊藤祥雄
1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了
通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当
著書
- 文法から学べる中国語
- 中国語!聞き取り・書き取りドリル
- CD付き 文法から学べる中国語ドリル
- 中国語検定対策4級問題集
- 中国語検定対策3級問題集
- ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本