第317回日常に見られる仏教用語
ご存知の方もおいでだと思いますが、僕の実家はお寺です。父はお坊さんなのです。
昨年の年末でしたか、帰省した時に大掃除をしようと思って本堂で掃除機をかけていた時、ふと、何かの資料が目に入りました。それは、父が檀家さんたちを集めてやっている念仏修養会(お経やお念仏を唱えたりして仏教に親しむ会のようもの)で配布した資料の残りでした。
そこには、日常に見られる仏教用語の解説が書かれていました。
こんな言葉も仏教用語だったの?と思うほど、日本語には仏教用語があふれているようですね。そしてほとんどは漢字の熟語ですから、多くは中国を経由して入ってきた語彙だと思います。
ですから、これら日本語に入り込んでいる仏教用語を中国語という観点から見つめてみると、これまた面白いかなぁと思ったので、今日は2つほど取り上げてお話してみたいと思います。
看病(かんびょう)
「看病(かんびょう)」という単語が仏教用語だとは、僕は知りませんでした。「看病」とは現代日本語では、病人の面倒を見る、というような意味ですよね?でも、本来は、僧侶が病人のために念仏を唱えたり仏法を説いたりすることによって病の苦痛を和らげることを「看病」と言ったそうで、つまり病気を治す(癒す)行為そのものを指したのだそうです。
なるほど、そういわれると、中国語の「看病 kàn bìng」も「看病する」という意味ではないですね。ご存じでしょうか。
よく使うのは「(医者に)病気を診てもらう」という意味です。たとえば:
我去医院看病。
wŏ qù yī yuàn kàn bìng
これは「私は病院に行って看病する」という意味ではありません(笑)。「私は病院に行って(医者に)診てもらう」という意味です。つまり「看病kàn bìng」とは「(医者に)診てもらう」「診察を受ける」という意味なのですね。
また、「(医者が)病気を診る」という意味でも使われます。たとえば:
王医生给我看病。
wáng yī shēng gěi wŏ kàn bìng
これは「王先生が私を看病してくれる」という意味ではなく(笑)、「王先生が私の病気を診てくれる」という意味です。
いずれにせよ、中国語の「看病 kàn bìng」は治療行為そのものを指すのであって、病人の世話をすることではないのです。ということは、仏教用語の「看病(かんびょう)」の本来の意味とほぼ同じではありませんか!
つまり、日本語が本来の意味から少しずれてしまった、ということなのでしょうか?なかなか面白いです。
迷惑(めいわく)
「ご迷惑おかけします」なんて、本当に日常的に使う語彙ですが、これも仏教用語なのだそうです。
現代日本語では、ある人の行為により別のある人が不愉快になることを「迷惑(めいわく)」と言いますよね?しかし仏教では少し違うようです。
物事の真理を知ることなく誤ったことに執着している状態を、迷いの世界「迷界」といい、その迷界で惑っている(うろうろする)こと、要するに「どうしていいかわからなくなること」を「迷惑(めいわく)」というのだそうです。
ははぁ、なるほど。中国語の「迷惑 mí huò」も仏教用語の意味に近いですね。
中国語の「迷惑 mí huò」は「迷い惑うこと」「迷い惑わせること」という意味で使われます。たとえば:
别迷惑我!
bié mí huò wŏ
私を惑わすな。
まぁ漢字の意味を一つ一つ見てみると、確かに「迷」「惑」という2文字に「人を不快な気分にさせる」という意味はなさそうですものね〜。むしろ日本語ではどうしてそういう意味になってしまったのか、不思議ですねぇ。
ちなみに、日本語の「迷惑(めいわく)」というのは中国語ではどう言いましょうか。
麻烦
má fan
これがいいでしょうかね。形容詞として使う時は「わずらわしい」「面倒だ」というような意味になりますが、動詞として使う時は「迷惑をかける」というような意味で使われます。ついでに覚えておいてください。
伊藤祥雄
1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了
通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当
著書
- 文法から学べる中国語
- 中国語!聞き取り・書き取りドリル
- CD付き 文法から学べる中国語ドリル
- 中国語検定対策4級問題集
- 中国語検定対策3級問題集
- ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本