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翻訳コラム

COLUMN

第335回

2017.05.03
通訳・翻訳家 伊藤祥雄

皆さんは中国語を習う中で、先生から文法の話を詳しく説明してもらいましたか?

実は伊藤は、あまり詳しく説明された覚えがないのです(苦笑)。

伊藤が最初に習った先生は、某外国語大学の助教授(当時)で、専門は中国語文法研究だったはずなのですが、先生によると「1年生は暗唱だけやっとればいいんだ」ということでした(笑)。

つまり、「中国語の文法は西洋語などに比べるとそんなに覚えることが多くないので、ほとんどの文法現象は説明がなくても理解可能である。そんなことに時間を使うよりも、たくさん文章を覚えて、語感を身につけるべきだ。文法のことを考えるのは、それからだ。」というようなお考えだったのかなと思います。

この考え方には、僕は基本的に賛成です。僕は実は文法が大好きな人なのですが、何もわからない内から文法のことをアレコレ考えるよりは、とにかく文を丸ごと飲み込んでいく、ある程度飲み込んだら、不完全ながらも何らかの「中国語の語感」のようなものが身につき、頭でっかちにならずに中国語を受け入れる用意ができるのだろうと思います。

ただ、そうやって培ってきた僕のつたない「中国語の語感」ですが、学問的な見地からはあまり合わないものもあるみたいで、最近ちょっとビックリしたことがありました。

先日、とある出版社から中国語文法に関する原稿を頼まれて、存現文について少し書きました。

存現文については皆さんもご存知ですよね?ある場所にあるモノ・ヒトが存在・出現・消失することを表す構文です。例えば「存在」を表す存現文はこんな感じです。

门外站着一个学生。
mén wài zhàn zhe yí ge xué sheng
ドアの外に学生が1人立っている。

ここで「存在」を表す存現文だけを取り上げて構造を見ていきますと、こんな語順になっています。

「場所」→「存在を表す動詞」→「存在するモノ・ヒト」

これを見ると、なんだか「有」の文とそっくりだとは思いませんか?上の1つ目の例文を「有」を使って書き替えてみましょう。

门外有一个学生。
mén wài yŏu yí ge xué sheng
ドアの外に学生が1人いる。

どうですか?語順がそっくりでしょう?動詞部分の「站着」が「有」に変わっただけです。意味も似ていますね。「学生が1人立っている」のが「学生が1人いる」になっただけです。

というわけで、僕の中では「有」の文は存現文の一種として処理されました(笑)。

でも、某出版社の人から指摘されたのですが、多くの学者さんは、「有」の文と存現文を区別しているそうです。なんでも、存現文は、モノやヒトがどのような状態で存在しているのかを言うので、単にアルかナイかを言うだけの「有」の文は存現文ではないのだそうです。その証拠として、存現文には否定文はないのに対し、「有」の文は否定することができる、ということがあるそうです。

なるほどと思わぬでもないですが、語順や意味するところを考えると、明らかに両者は同類だと思うし、何といっても学習者の身としては、区別しすぎると覚えることが多くなりますから、まとめられるところはまとめて、省力化をはかるべきだと思ったのですがね〜。でもご指摘に従って原稿を書き直しました(笑)。

もう1つ。今上で言及した「有」の文は動詞の前に「場所」ではなくて「ヒト」が来ることもありますよね。例えば:

我有三本中文小说。
wŏ yŏu sān běn zhōng wén xiăo shuō
私は中国語の小説を3冊持っています。

例えばこの文の主語「我」を、場所を表す言葉に交換してみましょう。例えば:

书架上 有三本中文小说。
shū jià shang yŏu sān běn zhōng wén xiăo shuō
本棚には中国語の小説が3冊あります。

前者は、ヒトが何かを「持っている」、つまり「所有」を表しますが、後者は、本棚君(笑)が何かを「持っている」わけではなく、本棚に何かが「存在している」、つまり「存在」を表しています。だから多くの学者さんはこの両者を区別している、ということも出版社の人からご指摘を受けました。

僕のつたない語感では、両者に区別はないと思うのです。どうしても別の用法だとは思えないのですね。

だから前者を「私という範囲(手元や、縄張り?…笑)に中国語の小説が3冊あります。」と解釈すれば、前者の文(いわゆる「所有」の文)も「存在を表す文」に含めることができ、さらに「存在を表す『有』の文」は(僕の考えでは)存現文にも含まれますので、「おお、中国語の文法がすごくスッキリした〜」と思っていたのですが、、、出版社の人から「あまりに他の先生方と違う内容になっていると読者が混乱しますので・・・」と諭され、書きなおすことになってしまいました(笑)。

暗唱をたくさんして語感を身につけることは非常に役に立つ勉強法だという考え方は今でも変わりませんし、文法を整理して、まとめてしまうことができる部分はできるだけまとめて省力化を図るべきだという考え方も変わりませんが、たまには他の先生方のご意見をうかがうために文法書等をこまめに読むことも必要だなぁと思ったのでした(笑)。

あ、僕は別に、自分の語感がいつも正しいと思っているわけでもありませんし、自分や中国人の語感に合った説明が必ずしも日本人に中国語を教える時に適していると考えているわけではありません。自分としてももっと語感を磨かなければならないですし、自分や中国人の語感に合った説明では分かりにくいと思う場合は便宜的な説明をする場合もあります。その話はまた別の機会にお話ししたいと思います。

伊藤祥雄

1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了

通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当

著書

  • 文法から学べる中国語
  • 中国語!聞き取り・書き取りドリル
  • CD付き 文法から学べる中国語ドリル
  • 中国語検定対策4級問題集
  • 中国語検定対策3級問題集
  • ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本