第484回三国志の言葉
最近またもや、バタバタさせていただいておりまして、今日も三国志の力を借りたいと思います。
今日皆さんにご紹介したい言葉(歇后语)は、こちら!
徐庶进曹营
Xú Shù jìn Cáoyíng
徐庶が曹軍営に入る
その心は!?
一言不发
yìyán bù fā
一言も話さない
皆さんは「徐庶」という人物をご存知でしょうか?
劉備が荊州の劉表のところに身を寄せていた時期、いつか天下を取るためには優れた軍師が必要になると考えていました。そんな折、街で偶然出会った浪人と語り合い、この者こそ探し求めていた人材だと思った劉備は、彼を軍師として召し抱えました。この浪人こそが、徐庶なのです。
徐庶は自分の培ってきた学問や経験を活かせる素晴らしい主君の元で働きたいと思っていましたが、誰に仕えるのがいいかじっくりと考えていました。そこで、名君と誉れの高い劉備に近づきました。そして単福(ゼンフク单福 Shàn Fú)という偽名を使って素性をかくして劉備と語らいます。
劉備はすぐ気に入り、素性不詳の単福(徐)庶)を軍師として召し抱えます。そしてある日、曹操軍が攻めてきました。その数三万。劉備軍はせいぜい二~三千。完全に劣勢だった劉備たちですが、単福の差配で見事曹操軍を打ち破ったばかりでなく、曹操側の手にあった樊城(ハンジョウFánchéng)という土地を攻め取ることに成功しました。
劉備は単福をますます信頼し、劉備軍のみんなも単福の指示は疑うことなく従うようになりました。
驚いたのは曹操です。曹操は劉備などいつでも討ち取れると思っていたのですが、自分の差し向けた軍勢三万がほぼ壊滅状態で帰ってきたのを知り、驚いて理由を尋ね、単福という軍師の存在を知ります。
単福と同郷の人から単福の素性や徐庶という本名、親孝行である一面などを知った曹操は、なんとか徐庶を自分の部下に従えたいと願い、徐庶の老母を呼び寄せ、息子を曹操軍に入るよう説得するようにと命じます。
この老母がなかなかの賢母で、「漢の逆臣である曹操に自分の息子を仕えさせようとする母親がどこにございますか?息子をあなた様に仕えさせるようなことはできませぬ。」と言い、曹操の命令を突っぱねます。
そこで、曹操の部下が一計を案じます。老母の字の書き癖を真似て、徐庶に偽の手紙を書きます。「曹操様に捉えられて都に連れてこられた。助けてくれる人がいたから無事ではあるが、寂しくて仕方がないので、こちらに来てほしい。」というようなことが書いてあります。
それを受け取った徐庶。いてもたってもいられず、劉備に自分の素性をあかし、謝った上で、曹操に捕えられた老母の元に(つまり曹操のところに)行くことを許してほしいと、涙ながらに訴えます。
劉備は寂しく思いながらも、それを許します。徐庶が曹操軍に使われるようなことになると劉備軍にとっては脅威です。でも親孝行の心に打たれた劉備は、快く送り出してやるのでした。
都に上り曹操にあいさつをし、母親のところに通された時、母親は非常に驚いて尋ねます。「どうしてここに来たのじゃ?劉備様に仕えたと聞いて喜んでいたのに。」「でも母上が来てくれとおっしゃったではありませんか。」「お前は色々学問や経験を積んできたのに偽手紙すら見破れないのですか?母がいたらお前の眼を曇らせてしまうだけだ。」と言い、その場で自殺してしまうのです。
曹操は老母を手厚く弔ってくれます。世話になりすぎてしまった徐庶は、曹操の元を離れることが、仁義上難しくなってしまいました。しかし誓うのです。身は曹操の元にあっても、曹操のために献策はしない、と。
冒頭の言葉(歇后语)“徐庶进曹营……一言不发”は、このエピソードを下敷きにしていますね。徐庶は曹操軍の幕僚のような位置に置かれるのですが、その才能を活かすことなく、曹操軍で一言も献策したりすることはなかったのでした。
若いころに大志を抱いて学問をしてきた徐庶、たった1つの失敗のため人生を棒に振るようなことになったのですね。徐庶があのまま劉備軍にとどまっていたら、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれませんね~。
伊藤祥雄
1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了
通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当
著書
- 文法から学べる中国語
- 中国語!聞き取り・書き取りドリル
- CD付き 文法から学べる中国語ドリル
- 中国語検定対策4級問題集
- 中国語検定対策3級問題集
- ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本