- 2023.11.22
- 翻訳ハック
「カタカナ語」との終わりなき戦い
翻訳業界で働くようになって暫く経つ。それまでは他業種で働いていたため、この業界ではまだまだ「ひよっこ」だ。翻訳チェック業務には日々新たな学びがあり、頭を悩ますことも数え切れない。作業時に注意すべき項目は多々あるが、私が特に注目するのは「カタカナ語」の存在である。ここでは、ワンワンのような擬音語やキラキラなどの擬態語に用いられるカタカナを除き、外来語やいわゆる「和製英語」を対象として言っている。
なお、新しい和製英語表現に遭遇するときは翻訳者も苦労するのだろうと思う。私が以前勤務していた翻訳会社でのチェック作業時に企業の決算短信でよく目にしたのが、「経営成績に関する説明」の文章中の「ウィズコロナ」だ。その後、「アフターコロナ」という言葉が多用されるようになった。それぞれ生まれたてホヤホヤの頃だったため翻訳者が適切な訳語を考えられなかったのか、時間がなくて諦めたのか、カタカナを活かした方が良いと判断したのか定かではないが、「with-corona」や「after-corona」の訳語が当てられていることがあった。さすがに違うだろうと思ってウェブ検索すると、前者は説明口調で「coexist with COVID-19(新型コロナウィルス感染症との共存)」など、後者は「post-pandemic」などが書かれていたので、そのように修正した。 さらに厄介なのが、一見正しいようで実は適切ではない訳語である。
これも前の翻訳会社でのこと。「リーマン・ショック」という言葉が「the Lehman Shock」と英訳してあったのを特に修正もせず提出したところ、担当のプロジェクトマネージャーから、「本当にこの表現で良いのでしょうか?」との指摘を受けた。ウェブ検索して、「the Collapse (あるいはBankruptcy) of Lehman Brothers(「リーマン・ブラザーズの破綻」の意)」といった表現があるので、こちらの方が良いでしょうという旨を回答した。すると後で、「the global financial crisis(世界金融危機)」に変更したとの知らせを受けた。おそらくだが変更の理由は、日本では「リーマン・ショック」という言い方が定着しているものの英語圏ではこうは言わないし、この言葉では本質を表していないということだと思う。リーマン・ショックとは、2008年9月15日に起きたリーマン・ブラザーズという米国投資銀行の経営破綻が発端となって、世界的な金融危機に発展した現象だ。つまり、リーマン・ブラザーズの破綻は一連の金融危機のきっかけであり、象徴的出来事にすぎない。なお、訳語は他にも「2007–2008 financial crisis(2007-08年金融危機)」などがある。要は、英語で一般的に使われる表現を用い、英文読者に対してニュアンスが正しく伝わるような訳語を選ぶべきだったのである。この日を境に、私は「カタカナ語執着病」にかかってしまった。
インターブックスで働き始めてからは、日本語から英語だけではなく、英語から日本語の翻訳チェック作業にも携わることとなり、カタカナ語に対するアンテナを一層強力に働かせなくてはならなくなった。日本語の訳文に書いてあるカタカナ訳語を許容すべきか、あるいは漢字熟語など別の表現に置き換えた方が良いのかと迷うことが多いのである。
例えば「empowerment」を「エンパワーメント」のように、英単語をそのままカタカナで訳してある場合、まずは想定読者を意識したうえで意味が伝わるかを考える。一般的に使われている言葉か専門分野の用語かの境界線も考慮すべき点である。個人的には漢字熟語などで代替可能と判断したらそれを優先したい。ただし、過去訳がある案件の場合は基本的に既出表現を踏襲しなければならないし、クライアントからカタカナ訳語が指定されている案件では私たちに選択判断の余地はない。さらに、現実問題として納期との戦いでもあるので、あまりこだわって日本語的な訳語を考えていられないことも多々ある。そのため、実際には、よほど不自然でなければカタカナ語で良しとすることもある。翻訳チェッカーとしてもどかしさを感じる瞬間だ。
こんな感じでカタカナ語に注目する機会が増えたからか、今の日本語は加速度的にカタカナ語が増えているように感じる。職業病とまでは言わないが、普段目にする誤ったカタカナ語(例えばハイテンションなど)にも違和感を覚えては、英語だったら本当は何というのだろうと思って辞書で調べたりする。ここで詳しくは触れないが、文化庁のウェブサイトを見ると、以前から「カタカナ語」の増加について調査・検討がされているらしい。
カタカナ語の氾濫は、特に英語が世界言語化して久しい現状では、グローバル化(これもカタカナ語の一種だが)が急速に進展する中、避けられない現象なのかもしれない。日本だけその波から逃れることなど到底できず、むしろ少子高齢化・人口減少など国内市場の先細りが懸念されている現状に鑑みると、企業には積極的に海外展開をしていく動機や必要性もあり、さらには欧米の先進的な技術や概念を早急に導入することへの需要もあるのだろう。特に最近の企業のIR文書などでは「カーボン・ニュートラル」といった「ESG(環境・社会・企業統治)経営」が盛んに取り上げられているが、世界的潮流というか、時代の要請といった側面も大きいようだ。いわゆる「物言う株主」などの外国人投資家の圧力もあるのだろう。これを言うと身もふたもないが、そもそも権威や社会的影響力のある立場にいる人たちが好んでカタカナを使うものだから、民間企業はそれに倣っているだけなのかもしれない。カタカナ語を連発する知事が話題になったこともあったし、役所、大学教授などの専門家、メディア、また上場企業の場合だと東証の影響も大きいと思う。
さらに、カタカナ語を使いたくなる理由について検索すると、単に「カッコいい」というような、明治以降の日本人の頭に植え付けられた欧米文明文化礼賛の固定観念以外にもいろいろと見つかる。概念が海外で生まれた言葉の場合、そもそもピッタリな日本語表現がなく、無理に日本語にするとニュアンスが変わってしまうという理由がある。例えば「コンプライアンス」は単なる「法令遵守」にとどまらず、企業の道義的責任も含む広い概念なので、言葉を区別する必要性があるのだろう。「サブスクリプション」という言葉に関しても新聞の定期購読や毎朝の牛乳配達などは昔からあるが、IT技術を活用して、動画・音楽配信、車、宿泊、洋服、飲食、宅配など様々な商品やサービスに対象範囲を拡大するという点で新たなニュアンスを付け加えている。しかも、「予約購読」や「定期購読」という言葉自体は以前からあるので新鮮味に欠け、流行らせようにも特に若者への訴求力が弱そうだし、7音節は長すぎる。日本人好みの3~4音節くらいの省略形にしても、「予購」や「定購」だと「予行」や「抵抗」が連想されて、それでなくても同音異義語だらけの日本語の中に埋没しそうだ。よって「サブスク」という、従来の日本語の響きにはない言葉がふさわしいのかもしれない。ほかにも、訳語作りが追い付いていない、知的で斬新な雰囲気が好まれる、日本語だと直接的すぎる言葉を婉曲的に(あるいは意図的に分かりにくく)表現できる、英語教育を受ける中で覚えた単語なので身近に感じられるため違和感がない、グローバル企業では外国人と接する機会が多いためなど。ほかにもあるだろう。
言語は生き物だから変化するのが当たり前だという考え方があるのも分かる。今、私たちが使っている日本語は平安時代の紫式部の文章と異なるのは言うに及ばず、明治の文豪のものとも、私の子供時代の教科書とも異なるので、何をもって正しい日本語とするのかは難しい問題ではある。私個人的には言葉に対して保守的な考え方を持っているので、昨今の傾向を悩ましく思ってはいるが、現実的には世の中の流れに従いつつも自分なりの日本語のあり方を模索して使っていくしかないので、この辺りの研究や施策は本業の専門家の方々にお任せするほかない。ただ、日本語原文にしろ、和訳文にしろ、カタカナ語だらけだと日本語本来の良さが失われるような気がするし、果たして日本人読者にどれだけ正確に意味が伝わっているのだろうかとの疑念も頭をよぎる。
翻訳チェッカーとして着目すべきポイントは他にも多々あるのは百も承知しているが、こうして今日もカタカナ語に四苦八苦しているし、今後もそうなのだろうなと思う。
2023年3月、日本企業が開示するIR文書の英訳専業翻訳会社から弊社に転職。和訳力向上に向けて日々奮闘中。
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